今も教会堂尖塔上から礼拝の開始を知らせるチャーチベル(写真)は、一説によれば1875年に教会堂を献堂した際に、メアリー・プライン(Mary Putnam Pruyn)から寄贈されたものと言われています。「創立五十年略史」及び「百年の歩み」と「横浜市史稿(教会編)」には、ニューヨーク・フラットブッシュ在住のガラット・カワンホーヘン氏からの寄贈と記述されています。また、S.R.ブラウンの1874年4月4日の書簡には、「プリュイン氏は、塔につりさげる鐘を寄付するでしょう。」と記述されています。「プリュイン氏」はメアリー・プラインのことではなく、第二代目駐日アメリカ公使のRobert Hewson Pruynのことと思われます。この鐘は1923年の関東大震災により、旧会堂が倒壊・焼失した際に、その廃墟の中から当時の教会員によって発見、保全されて残ったものです。戦争中には国家総動員法にもとづく金属回収令(武器生産の資源確保のため)によって軍から供出を迫られましたが、当時の渡辺連平牧師がそれを断り、そのために加賀町警察署に留置されても鐘を守り通したと伝えられています。現在、鐘は礼拝開始の5分前から聖書の66巻(旧約39巻、新約27巻)に因んで66回鳴らしています。(教会創立110年頃までは創立からの年数回を鳴らしていました。)